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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)220号 判決

東京都豊島区上池袋三丁目16番6号

原告

染谷宣男

訴訟代理人弁理士

新垣盛克

東京都千代田区霞が関三丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

指定代理人

廣田雅紀

市川信郷

田中靖紘

涌井幸一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成3年審判第5674号事件について、平成4年9月3日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和57年12月28日、名称を「健康増進剤」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(昭和57年特許願第233889号)が、平成3年1月18日に拒絶査定を受けたので、同年3月22日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を同年審判第5674号事件として審理したうえ、平成4年9月3日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年10月19日、原告に送達された。

2  本願発明の要旨

「化学組成が維持されたままで150~500メッシュに粉砕されたコラールサンドの粉体を有効成分とする健康増進剤」(平成3年4月18日付け手続補正書によって補正された本願明細書の特許請求の範囲第1項記載のとおり)

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、昭和57年8月5日公開の特開昭57-125676号公報(以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用例発明」という。)に基づいて当業者が容易に発明することができたものと判断し、本願発明は特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨、引用例の記載事項の各認定は認める。

本願発明と引用例発明との一致点・相違点の認定は、「本願発明のコラールサンドは引用例記載の粉砕されたサンゴに相当し、」(審決書3頁7~9行)とある部分を争い、その余は認める。

相違点(1)、(2)の認定判断は、その前提とされている事項、すなわち、引用例発明の骨粉砕物中に本願発明のコーラルサンドが含まれることを除き、認める。

審決は、引用例の記載内容を誤認し(取消事由1)、また、一致点の認定を誤り(同2)、その結果、本願発明は引用例発明に基づき容易に発明できたとの誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(引用例の記載内容の誤認)

引用例に審決認定の記載があることは認めるが、引用例の記載を詳細に検討すると、引用例は、サンゴの骨を粉末カルシウム物質の原料として採用できることを実質的には開示していないというべきである。

(1)  引用例中のサンゴに関する記載の文言は、具体的には「サンゴの骨」、「サンゴ」あるいは「サンゴ類」だけであり、それらが魚、海獣と並べこれに付属する形で記載されているにすぎない。

引用例に実施例として挙げられている原料を見ると、出願当初の明細書においては「鯨の骨」のみであり、手続補正書で追加されたのは「マグロの骨」だけであり、それ以外にはない。

引用例の発明の詳細な説明の欄には、「魚、海獣、サンゴ類、特に海獣類の骨」(甲第4号証2頁左上欄2~3行)、「原料としては、魚、イルカや鯨等の海獣、それにサンゴの骨が使用され得るが、特に海獣類の骨が好ましい」(同2頁左上欄17~19行)、「また、粉末カルシウム物質、特に海獣から得られる粉末カルシウム物質を・・・」(同2頁左下欄4~5行、3頁補正の内容(3))との記載が見られる。

引用例のこれらの記載の状況は、引用例に接する当業者に、引用例発明の発明者は海獣と魚の骨のみを研究の対象としたものであり、サンゴの骨については、現実の研究は全くしないで、明細書作成の段階でたまたまこれを同列に併記したにすぎないのではないかとの推測を与えるものである。

他方、一口に「サンゴ」といっても、「サンゴ」で表現されるものには、形状、組成等において異なる多種多様のものがあることは後述のとおりである。

このような状況の下で、引用例を見て「サンゴ」につき引用例発明を実施することは、当業者にとって不可能なことといわなければならない。

(2)  魚及び海獣の骨とサンゴの骨の成分を比較した場合、カルシウム含有物質である点では共通であっても、魚及び海獣の骨がリン酸カルシウムを主成分とするものであるのに対し、サンゴの骨は炭酸カルシウムを主成分とするものであり、両者の成分は全く異質である。

引用例中には、随所に食品中のカルシウムとリンの比率を強調する記載が見られ、これらの記載も、上記事項を前提に見れば、引用例発明の主眼がリン酸カルシウムを主成分とする魚及び海獣の骨にあることを推測させるものである。

(3)  引用例には、材料の熱処理の温度に関し「加熱温度は500~2000℃の範囲で適宜な温度が選定されるが、通常700℃以上の温度で行なわれる。」(甲第4号証2頁右上欄3~5行)と記載されている。

このような高温処理法は、リン酸カルシウム系の骨である魚及び海獣の骨に対しては一般的な手段であるが、炭酸カルシウム系の骨であるサンゴの骨に対してこれを施すと、主成分である炭酸カルシウムは酸化カルシウムに変化し、この酸化カルシウムは、人体に対して劇物であって、全く食用には供しえない。すなわち、サンゴの骨によっては、引用例発明によりその目的とするものを得ることができない。しかも、これらは、従来からよく知られている事項である。

このような状況の下で、引用例に接する当業者がサンゴの骨を引用例発明の粉末カルシウム物質の原料として用いることはありえないから、上記状況は、サンゴの骨が、真実、引用例発明の原料とされていると見られるか否かを考えるうえで、決定的に重要なことといわなければならない。

(4)  以上に述べたところを総合すると、引用例は、引用例発明の採用した原料として「サンゴの骨」という言葉を記載してはいるものの、この記載は、引用例に接する当業者に、真実「サンゴの骨」が引用例発明の原料として使用できるとは考えさせないものといわなければならず、したがって、引用例には、サンゴの骨に関する技術は開示されていないものといわなければならない。

ところが、審決は、引用例にサンゴの骨を原料とする粉末カルシウム物質の製造法が記載されていると誤って認定し、この誤認を前提として本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されなければならない。

2  同2(一致点の誤認)

審決は、両発明の比較において「本願発明のコラールサンドは引用例記載の粉砕されたサンゴに相当し、」(審決書3頁7~9行)と認定しているが、誤りである。

(1)  「サンゴ」は、学術的には、花虫綱八放サンゴ亜綱サンゴ科に属する腔腸動物の総称であるが、広義では、六放サンゴ亜綱のイシサンゴ類やツノサンゴ類、ヒドロ虫綱のギサンゴ類なども含むものとして用いられる言葉である。

したがって、一口にサンゴといっても、その種類は多く、「アカサンゴ」「モモイロサンゴ」「アオサンゴ」「クダサンゴ」「ウミトサカ」「イソバナ」等のほか、六放サンゴ類に属する「イシサンゴ」「イソギンチャク」など、多種多様のものがあり、それぞれの生息地域、形状、組成成分、用途なども異なっている。

「サンゴ」によってこのように多種多様のものが示されるとき、漠然と「サンゴの骨」ということで一括し、本願発明の「コラールサンド」と同列に論ずることはできない。

(2)  本願発明における「コラールサンド」(英語「coralsand」に対応する。以下、一般の例に従い「コーラルサンド」ともいう。)の意義は、本願明細書において、「造礁サンゴの生骨格及び半化石群が自然力によって破砕され、風化して生成した」(甲第2号証1頁右下欄4~5行、甲第3号証2枚目補正の内容2(2))ものとされているとおりであり、これをより詳しく表現すれば、清澄で温暖な海域にのみ成育する造礁サンゴの骨格を主とし、このほかに、有孔虫の殻、ウニの刺、貝殻のかけら、コケムシ等が、長年にわたって自然力により破砕され海水に洗い晒され、海底に堆積している砂状の物質、ということになる。

このコーラルサンドには、以下の特色がある。

〈1〉 まず第一に、著しくポーラスである。

このため、事前に高温処理することなく粉砕機にかけるだけで、化学組成が維持されたまま、微粉末とすることができる。

これに対し、サンゴの骨は硬い。八放サンゴの平均的な硬さは、モースの硬度計で3.5であり、これは、真珠の硬さと同じであり、鉱物でいえば、蛍石と方解石との中間の硬さ(なお、モースの硬度計によるダイヤモンドの硬度は10である。)である。

〈2〉 次に、人体に有用な多くの物質を含んでいる。

コーラルサンドには、本願明細書中の表-1に記載されているように、安全性の高いカルシウム分を多量に含むのみでなく、その他マグネシウム等含有物質は優に20以上に及ぶ。

しかし、コーラルサンドについては、最近まで組成を含めその詳細は知られておらず、そのため、わが国では、沖縄県において道路に敷くなど土木工事用材として用いられていたにすぎなかった。本願発明の発明者である原告は、独自に研究を重ねた結果、上記事項を知り、本願発明をするに至ったものである。

これに対し、サンゴの骨の成分は、炭酸カルシウムがほとんどで、この他に3%前後の炭酸マグネシウムが存在するにすぎない。

本願発明における「コラールサンド」と引用例発明におけるサンゴの骨との間には、その性質及び構成においてこのように大きな相違があり、しかもコーラルサンドの性質及び構成は本願出願前知られていなかったのであるから、これを無視して「本願発明のコラールサンドは引用例記載の粉砕されたサンゴに相当し、」(審決書3頁7~9行)とすることはできず、そのように認定した審決の誤りは明らかである。

第4  被告の反論の要点

1  取消事由1について

(1)  引用例発明は、食品用添加剤等として使用される粉末カルシウム物質の製造法に係る発明であり、その原料として「魚、海獣、又はサンゴの骨」を用いることが、特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の欄に明記されている。

サンゴが魚、海獣の骨等と同様カルシウム物質として用いられるものであることは、ごく普通に知られていることであり(乙第1号証、1976年発行「第九改正日本薬局方解説書A・B・C」C-889頁)、また、炭酸カルシウムは、カルシウム化合物であり、骨の主成分であることがよく知られている点において、リン酸カルシウムと異なることはなく、引用例に、炭酸カルシウムを引用例発明のカルシウム源とすることは好ましくないとする趣旨の記載は全くない。

酸化カルシウムは人体に対して劇物であること、炭酸カルシウムが加熱により酸化カルシウムと二酸化炭素に分解されること、これらのことはよく知られていることは、原告主張のとおりである。

しかし、同時に、上記各事項に加えて、炭酸カルシウムは約825℃以下では酸化カルシウムと二酸化炭素に分解されないことも周知の事項である(乙第1号証、C-888頁)から、引用例に接した当業者が、引用例発明のカルシウム物質の原料として炭酸カルシウム含有物を使用する場合には、引用例に記載された「加熱温度は500~2000℃の範囲で適宜な温度が選定されるが、通常700℃以上の温度で行なわれる。」(甲第4号証2頁右上欄3~5行)との条件の下で、酸化カルシウムを発生させない500℃~約825℃の範囲内の温度で加熱することは、明らかなことである。

上述のことからすれば、引用例において、サンゴの骨が、引用例発明の粉末カルシウム物質の原料として、実施例に挙げられてはいないものの、そこに挙げられている海獣や魚の骨と同様に使用しうるものとして記載されていると解して何ら不都合はない。

(2)  以上のとおりであるから、引用例にサンゴの骨を原料とする粉末カルシウム物質の製法の記載があるとした審決の認定に誤りはない。

2  同2について

(1)  引用例における「サンゴの骨」は、粉末カルシウム物質の製造法に係る発明である引用例発明の原料として挙げられているのであるから、カルシウム源となるカルシウム含有物質として把握しうる「サンゴ」すべてを含むものと解される。

「サンゴ」は、本来は、各種腔腸動物の石灰質又は角質の骨格を指した語であるが、生物学的にはそのような骨格を形成する刺胞動物を意味する。このうち、花虫綱八放珊瑚亜綱の根生目・共莢目・ヤギ目、六放珊瑚亜綱のイシサンゴ目、ヒドロ虫綱のヒドロサンゴ目に属するものは石灰質の骨格を、六放珊瑚亜綱のクロサンゴ目に属するものは黒い角質の骨格を持つ。イシサンゴ目の大部分と共莢目のアオサンゴ類、根生目のワダサンゴ類、ヒドロサンゴ目のアナサンゴモドキ類は造礁サンゴとなる。造礁サンゴは、その体内に共生藻である褐虫藻を持ち、その作用により骨格形成又は石灰化が形成されるため、成長が速い。

造礁サンゴ類を主体とする石灰質分泌生物の遺骸が堆積してできた石灰岩の岩礁を珊瑚礁という。珊瑚礁石灰岩は、造礁サンゴ類の骨格が核となり、その間隙を石灰藻類・貝類・ウニ類・甲殻類・有孔虫類などの骨格片が埋め、それら全体が無節サンゴ藻類によって接着・固化されて形成されたものである。

外洋に面して波浪の影響を強く受けるところでは、造礁サンゴ類の骨格が堅固で、サンゴ藻類の成育もよく、形成される石灰岩は堅い。逆に、外洋の荒波から遮蔽されたところでは、造礁サンゴ類は脆弱でサンゴ藻類の成育は悪く、多孔質のもろい石灰岩が形成されるか、造礁生物の遺骸破砕片が礫や砂となって堆積する。

上記各事項はいずれも周知の事項である(乙第2号証、1977年7月5日第1刷、1981年11月20日第5刷発行「岩波 生物学辞典 第2版」)。

上記周知事項を前提にした場合、引用例における「粉砕されたサンゴ」が、「造礁サンゴの生骨格及び半化石群が自然力によって破砕され、風化して生成した」(甲第2号証1頁右下欄4~5行、甲第3号証2枚目補正の内容2(2))ものである本願発明の「コラールサンド」を包含することは明らかといわなければならない。

(2)  引用例発明の採用した原料である骨の処理につき、引用例に「これらの骨を原料として(なお、これらの骨は予め粉砕しておくことが好ましい)粉末カルシウム物質を製造する場合は、骨を水洗、乾燥した後骨を熱処理する。」(甲第4号証2頁左上欄20行~右上欄3行、3頁補正の内容(3))と記載されており、この記載は、使用する骨は粉砕物として用いることばかりでなく、原料として自然の粉砕物を使用することも、十分教示しているということができる。

モース硬度3.5程度のものを粉砕することは容易であり、このようなものを粉末カルシウム物質として使用することが困難であるという事由も考えられない。

上述のとおり、造礁サンゴの自然破砕物であるコーラルサンドそのものはサンゴとして知られており、かつ、サンゴの骨格は、炭酸カルシウム及び炭酸マグネシウムを主成分とすることもよく知られたことである(乙第3号証、1972年4月25日初版発行、1977年印刷「世界大百科事典 12」)から、コーラルサンドがカルシウム源、マグネシウム源となりうることは容易に予測できるところである。

(3)  以上のとおりであるから、両発明の比較において「本願発明のコラールサンドは引用例記載の粉砕されたサンゴに相当し、」(審決書3頁7~9行)と認定した審決に誤りはない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立はいずれについても当事者間に争いがない。)。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1(引用例の記載内容の誤認)について

(1)  サンゴに関し引用例に審決認定の記載があることは、当事者間に争いがない。

引用例中のサンゴに関するすべての記載を具体的に見れば、次のとおりである。

特許請求の範囲に、「1.魚、海獣又はサンゴの骨を熱処理することを特徴とする食品用添加剤等として使用される粉末カルシウム物質の製造法」(甲第4号証1頁左下欄6~8行、3頁補正の内容(2))と記載されている。

発明の詳細な説明中に以下の各記載が見られる。

「本発明は魚、海獣、サンゴ類の骨を熱処理し、」(同1頁左下欄12行)

「本発明は上記の事情に鑑みなされたもので、魚、海獣、サンゴ類の骨を熱処理し、」(同1頁右下欄18~19行)

「魚、海獣、サンゴ類、特に海獣類の骨から得られた粉末カルシウム物質は、これを飲食物に少量添加することにより、カルシウム分を有効に補給し得ると共に、」(同2頁左上欄2~6行、3頁補正の内容(3))

「本発明に係る粉末カルシウム物質の製造法において、原料としては魚、イルカや鯨等の海獣、それにサンゴの骨が使用され得るが、特に海獣類の骨が好ましい。」(同2頁左上欄16~19行、3頁補正の内容(3))

引用例発明が食品用添加剤等として使用される粉末カルシウム物質の製造法に係る発明であることは、上記特許請求の範囲の欄の記載等、引用例の記載全体に照らして明らかである。

また、「サンゴ」の語が正確に何を意味するかはともかく、「サンゴ」といわれているものの少なくとも大部分がその主成分としてカルシウムを含有することが広く知られていたことは、1976年発行「第九改正 日本薬局方解説書 A・B・C」(乙第1号証)に、「炭酸カルシウムは天然に石灰石、大理石、白堊などとして産出し、またサンゴ、貝殻、骨などの成分として動物界に分布する」(同C-889頁)と、1972年4月25日初版発行、1977年印刷「世界大百科事典 12」(乙第3号証)に「サンゴの骨格は炭酸カルシウムおよび炭酸マグネシウムを主成分とし、・・・」(同428頁中欄)と記載されていることによって認められる。

これらのことを前提に引用例の上記各記載を見れば、引用例発明の実施例として海獣である鯨の骨あるいは魚であるマグロの骨しか挙げていないとしても、引用例が、サンゴの骨を粉末カルシウム物質の原料の一つとして実質的に開示していることは、疑問の余地がないものといわなければならない。

(2)  引用例発明が食品用添加剤等として使用される粉末カルシウム物質の製造法に係る発明であることは上述のとおりであり、同発明は原料とするものの中に含まれるカルシウムに着目した発明であって、その中のリンに着目したものではないことは、引用例(甲第4号証)の記載に照らし明らかであり、引用例には、炭酸カルシウムを引用例発明のカルシウム源とすることは好ましくないとする趣旨の記載は全くない。

引用例中に食品中のカルシウムとリンの比率を強調する記載が見られることは原告主張のとおりである。

しかし、その記載は、

「食品中にリン分が多い場合にはカルシウムの排泄分も多いといわれている。例えば、食品のカルシウムとリンの比率は1:1~2がよいといわれているが、通常の食生活において摂取することの多い精製白米の場合、カルシウムとリンの比率は約1:25程度といわれており、このため最近では玄米食の摂取も喧伝されている。」(甲第4号証1頁右下欄10~17行)

「これによりたき上つたごはん中のカルシウムとリンの比率を一般に好ましいとされる1:1~2の範囲に調整し得、・・・摂取したカルシウムの有効分を増加させることができ、カルシウム分を有効に補給することができる。」(同2頁右上欄19行~左下欄4行)

「なお、前記カルシウム物質0.2gを白米3合に添加してたき上げたごはんのカルシウムとリンの比率は約1:2である。」(同2頁右下欄16~19行、3頁補正の内容(3))

というものであり、この記載によれば、むしろリン分の入らないカルシウム物質が好ましいことを引用例は開示しているものと理解される。

この点からすれば、食品中のカルシウムとリンの比率を強調する引用例の上記記載から、引用例発明の主眼がリン酸カルシウムを主成分とするものにあるとする原告の主張は成り立たない。

(3)  酸化カルシウムは人体に対して劇物であること、炭酸カルシウムが加熱により酸化カルシウムと二酸化炭素に分解されること、これらのことはよく知られていることは、当事者間に争いがない。

しかし、炭酸カルシウムは約825℃以下では酸化カルシウムと二酸化炭素に分解されないことも周知の事項であることは、1976年発行「第九改正 日本薬局方解説書 A・B・C」(乙第1号証)の「沈降炭酸カルシウム」の部分に、「約825゜に強熱すると分解し、CaOおよびCO2となる。」(同C-888頁)と記載されていることにより認められるから、引用例に接した当業者が、引用例発明のカルシウム物質の原料として炭酸カルシウム含有物を使用する場合には、引用例に記載された「加熱温度は500~2000℃の範囲で適宜な温度が選定されるが、通常700℃以上の温度で行なわれる。」(甲第4号証2頁右上欄3~5行)との条件の下で、酸化カルシウムを発生させない500℃~約825℃の範囲内の温度で加熱すればよいと理解するであろうことは十分に推認することができる。

また、原告主張のとおり、「サンゴ」で表現されるものに多種多様なものが含まれるとしても、引用例発明が粉末カルシウム物質の提供に係る発明であること、「サンゴ」で表現されるものの少なくとも大部分の主成分がカルシウムであることが周知であることは前述のとおりである以上、上記事実が、サンゴにつき引用例発明を実施することを困難にするとは考えられない。

その他、サンゴの骨を粉末カルシウム物質の原料とすることが引用例に実質的にも開示されていると認めることを妨げる資料は、本件全証拠を検討しても見いだせない。

(4)  以上のとおりであるから、引用例にサンゴの骨を原料とする粉末カルシウム物質の製法の記載があるとした審決の認定に誤りはない。

原告主張の取消事由1は理由がない。

2  同2(一致点の誤認)について

(1)  本願発明にいう「コラールサンド」が「造礁サンゴの生骨格及び半化石群が自然力によって破砕され、風化して生成した」(甲第2号証1頁右下欄4~5行、甲第3号証2枚目補正の内容2(2))ものであることについては、当事者間に争いがない。

ところで、1977年7月5日第1刷、1981年11月20日第5刷発行の「岩波 生物学辞典 第2版」(乙第2号証)の「珊瑚」及び「珊瑚礁」の項目には以下の記載があり、これによれば、これらの記載事項は、いずれも従前から広く知られるに至っていたと認めることができる。

「珊瑚 〔英coral仏corail独Koralle〕本来は、各種の腔腸動物の石灰質または角質の骨格を指した語であるが、生物学的にはそのような骨格を形成する刺胞動物を意味し、特に動物体を指す場合には珊瑚虫ともいう。花虫綱八放珊瑚亜綱の根生目・共莢目・ヤギ目、六放珊瑚亜綱のイシサンゴ目、ヒドロ虫綱のヒドロサンゴ目に属するものは石灰質の骨格を、六放珊瑚亜綱のクロサンゴ目に属するものは黒い角質の骨格をもつ。・・・イシサンゴ目の大部分と共莢目のアオサンゴ類、根生目のワダサンゴ類、ヒドロサンゴ目のアナサンゴモドキ類は、造礁サンゴ(hermatypic coral, reef-building coral)となる。これらはその体内に共生藻(endozoic algae)である褐虫藻(zooxanthellae)をもち、その作用によって骨格形成(skeletogenesis)または石灰化(calcification)が促進されるため、成長が速く、 珊瑚礁の形成に主役を演じる。生育好適水温は25~29℃で、地理的分布は熱帯・亜熱帯に限られている。また褐虫藻と共生するため、光が重要な生育条件となり、したがって分布深度は100m以浅に限定される。」

「珊瑚礁 〔英coral reef仏recif corallien独Korallenriff・・・〕 造礁サンゴ類(⇒珊瑚)を主体とする石灰質分泌生物の遺骸が堆積してできた石灰岩の岩礁をいう。珊瑚礁石灰岩は、造礁サンゴ類の骨格が核となり、その間隙を石灰藻類(calcareous algae)・貝類・ウニ類・甲殻類・有孔虫類などの骨格片が埋め、それら全体が無節サンゴモ類(melobesioid algae)によって接着・固化されて形成されたものである。造礁生物(hermatypic organism)と呼ばれるこれらの生物の恒常的な造礁活動によって、珊瑚礁では、波浪などによる侵蝕に石灰質の堆積が均衡しあるいは卓越する。外洋に面して波浪の影響を強く受けるところでは、造礁サンゴ類の骨格が堅固で、サンゴモ類の生育もよく、形成される石灰岩は堅い。逆に外海の荒波から遮蔽されたところでは、造礁サンゴ類は脆弱でサンゴモ類の生育は悪く、多孔質のもろい石灰岩が形成されるか、造礁生物の遺骸破砕片が礫や砂となって堆積する。」

以上の事実によれば、本願発明にいう「コラールサンド」は、造礁生物の遺骸破砕片が礫や砂となったものをいい、造礁サンゴの骨格を主とするものであるから、これが広く「サンゴの骨」という言葉で表現されうるものに包含されることは明らかといわなければならない。

(2)  引用例には、引用例発明の粉末カルシウム物質の原料である魚、海獣及びサンゴの骨について、「これらの骨を原料として(なお、これらの骨は予め粉砕しておくことが好ましい)粉末カルシウム物質を製造する場合は、骨を水洗、乾燥した後骨を熱処理する。」(甲第4号証2頁左上欄20行~右上欄3行、3頁補正の内容(3))、「熱処理後は必要により更に細かく粉砕し、粒度を調整する。」(同2頁右上欄8~9行)と記載されており、これらの記載は、原料としてのサンゴの骨が既に粉砕物となっている必要はないが、それが既に粉砕物となっているものであって何ら差し支えなく、むしろそれは好ましいことであることを意味することは明らかであり、また、引用例には、原料となるサンゴの骨のサンゴの種類やその硬度につき、特に制約が必要であることを意味する記載はないことが認められる。

そして、サンゴがその主成分としてカルシウムを含有することが広く知られていたことは前述のとおりであるから、引用例に接する当業者は、広く「サンゴの骨」という言葉で表現されうるものは、それにつき、カルシウムを主成分とするものでないなど、引用例発明の原料とするうえでの不都合が明らかにならない限り、カルシウム源となるカルシウム含有物質として、すべて引用例にいう「サンゴの骨」に含まれると理解することは明らかである。

本願発明の「コラールサンド」に炭酸カルシウム以外にも原告主張の物質が包含されているとしても、その主成分がカルシウムであることに変わりはなく、また、引用例発明自体、カルシウム以外の成分の混入を排斥するものではなく、むしろこれを歓迎するものであることは、引用例中の「更に、この粉末カルシウム物質を摂取することにより、原料に由来する天然無機質分も摂取され、いわゆるミネラル分が有効に補給される。」(甲第4号証2頁左下欄7~10行、3頁補正の内容(7))と記載されていることにより明らかであるから、そのことは、上記コーラルサンドを引用例発明の粉末カルシウム物質の原料であるサンゴの骨と区別する理由とはならない。

以上によれば、両発明の比較において、「本願発明のコラールサンドは引用例記載の粉砕されたサンゴに相当し、」(審決書3頁7~9行)と認定じた審決に誤りはない。

原告の取消事由2の主張も理由がない。

3  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 芝田俊文)

平成3年審判第5674号

審決

東京都豊島区上池袋3-16-6

請求人 染谷宜男

東京都新宿区新宿5丁目2番2号 新宿Kビル4階 橘特許事務所

代理人弁理士 橘哲男

昭和57年特許願第233889号「健康増進剤」拒絶査定に対する審判事件(昭和59年7月11日出願公開、特開昭59-120078)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

本願は、昭和57年12月28日の出願であって、その発明の要旨は、平成3年4月18日付けの手続補正書によって補正された明細書の記載からみて、その特許請求の範囲(1)に記載された次のとおりのものと認める。

「化学組成が維持されたまゝで150~500メッシュに粉砕されたコラールサンドの粉体を有効成分とする健康増進剤。」

これに対して、原査定の拒絶の理由に引用された特開昭57-125676号公報(公開日、昭和57年8月5日 以下、「引用例」という。)には、カルシウムその他のミネラルを人体に摂取するために、粉砕されたサンゴ等の骨を熱処理し、その後、細かく粉砕し粒度を調整したものを食品用添加剤等として使用すること(引用例の特許請求の範囲、第1頁左欄下から第5行~右欄第17行、第2頁左欄下から第1行~右欄第9行)が記載され、さらにこの添加剤の使用により、カルシウム分はもとより骨に本来含まれている微量無機成分をも摂取できる旨(第2頁左欄第2~8行)記載されている。

そこで、本願発明と引用例に記載のものとを比較すると、本願発明の原料であるコラールサンドについて明細書には、造礁サンゴの生骨核及び半化石群が自然力によって破砕され風化して生成したものと記載されていることから、本願発明のコラールサンドは引用例記載の粉砕されたサンゴに相当し、また、本願発明の健康増進剤は食品に対する添加物として使用することも明細書に記載されていて、そのコラールサンドの摂取する目的および使用態様において引用例と差異がないものであるから、両者は、粉砕されたコラールサンドを有効成分とする健康増進剤の点で一致し、(1)有効成分であるコラールサンドは、本願発明では、化学組成が維持されたまゝの粉体であるのに対し、引用例記載のものはさらに熱処理されている点および(2)粉末化の程度を本願発明では150~500メッシュに規定しているのに対し、引用例記載のものは、そのような具体的数値までは記載していない点で相違する。

そこで、上記相違点について検討する。

相違点(1)について

ところで、引用例記載のものにおける前記熱処理は、使用する骨の主要成分であるカルシウム化合物の水溶性を向上せしめる等、さらなる有効利用を図って行うものであり、この引用例記載のものは、サンゴ等の骨粉砕物のカルシウム剤としての利用をその前提としているものであることは明らかであり、一方、カルシウム等の摂取を目的として、骨類を、単に熱消毒し、乾燥して粉砕することによってカルシウム剤を得ること、即ち格別の熱処理をすることなく骨類を粉砕したものを使用してカルシウム剤を得ることは本出願前周知にすぎないから、本願発明において、コラールサンドを熱処理することなく、化学組成が維持されたそのものを粉体とすることに格別の創意はないものである。

相違点(2)について

この種健康増進剤における有効成分含有材料について、消化・吸収を向上させるために、より細かく粉末化することは常套手段であり、150~500メッシュと規定することは当業者が任意になしうる程度のことといえる。

そして、本願発明は、相違点(1)及び(2)によって、引用例記載のものから予期しえないような格別顕著な効果を奏したものとも認められない。

したがって、本願発明は、引用例に記載されたものから当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成4年9月3日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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